146 創作 2026年02月20日 (ここまで書いておいて今更いやそれウリムーとガラポニすぎねえ?と気付きましたが、見なかったことにします) 忍者ブログ、ひと記事の文字数上限が思ったよりも少ない。AIに作ってもらった設定ページ 幼少期メモ(AI生成) 朝は、空腹で目が覚めることから始まる。腹が鳴る前に目を開けられた日は、まだましなほうだった。瓦礫を組み合わせただけの簡素な住処の天井は、夜露を含んで黒ずんでいる。ゼルクは身を起こすと、隣で丸くなって眠るヴァルドの背を足先で軽く小突いた。「起きろ」とは言わない。声を出せば、余計な者まで起こしてしまうからだ。ヴァルドは低く唸り、すぐに起き上がる。目つきは鋭いが、まだ少年の輪郭を残している。 朝の路地は冷たい。湿った土と錆の匂いが混じり、遠くで機械の駆動音が唸っている。中央区画の排水が流れ込む細い溝の脇を、二人は無言で歩く。今日の目当ては市場の裏だ。早朝なら、売れ残りや落とされた品がある。ゼルクは目がいい。箱の隙間、布の影、積み荷の下。小さな違和感を見逃さない。ヴァルドは体を張る。追い払われる役目も、重たいものを抱える役目も、自分だと心得ている。 市場の喧騒が高まる前、二人は木箱の陰に身を滑り込ませた。傷んだ果実が一つ、転がっている。ゼルクが素早く拾い、衣の内側に押し込む。別の箱からは乾いたパンの欠片が見えた。手を伸ばした瞬間、怒声が飛ぶ。店主が棒を振り上げる。ヴァルドは反射的に前に出た。棒は肩をかすめ、鈍い音を立てる。それでも彼は歯を食いしばり、ゼルクに視線を送る。合図はそれで十分だった。ゼルクは反対側へと駆け、店主の視線を引きはがす。追う足音が遠ざかった隙に、ヴァルドは反転して路地へ消えた。二人はいつもの廃屋の裏で落ち合う。息を整え、成果を広げる。果実は半分に割り、パンはさらに小さく裂く。どちらが多いかで揉めることはない。腹の減り具合で、自然と手が止まる。 食べ終えた後、ヴァルドは肩を回した。棒が当たった場所が赤くなっている。ゼルクは無言で近づき、汚れた布を水で湿らせて当てた。「痛いか」と問えば、負けを認めるようで言わない。ヴァルドは鼻で笑う。「平気だ」と短く答える。嘘だと分かっているが、追及はしない。痛みは、この街の挨拶のようなものだ。 昼前には、別の連中が縄張りを主張してくる。年上の少年たちだ。金の匂いがする仕事は、いつも取り合いになる。廃材の山から銅線を抜き取る単純な作業でも、換金すれば食事になる。ゼルクは素早く指を動かし、ヴァルドは背後に立つ。挑発の言葉が飛び、石が一つ転がる。次の瞬間、押し合いになる。拳は軽く、足払いは鋭い。大人の喧嘩ほどの凶悪さはないが、容赦もない。やがて相手は舌打ちして去る。勝ったわけではない。ただ、今日は奪われなかったというだけだ。 午後、二人は高架の下に腰を下ろす。影は涼しく、上を走る輸送列車の振動が足元に伝わる。ゼルクは銅線を指先で弄びながら、遠くの空を見た。煙に曇っていても、青はある。ヴァルドは仰向けになり、腕を枕にする。「いつか、あっちに行く」と、唐突に言う。中央区画の方角だ。高い塔が並び、灯りが消えない場所。ゼルクは目を細める。「行ってどうする」と問えば、ヴァルドはしばし考え、「でかい飯を食う」と答えた。笑うしかない夢だが、笑わなかった。夢を嘲る余裕はない。夢は、飢えをやり過ごすための道具でもある。 夕刻、風が冷たくなると、二人は水を汲みに行く。壊れた給水塔の根元に、細い流れがある。順番を巡って小競り合いが起きるが、今日は大事にならない。空が茜に染まり、影が長く伸びる。ゼルクは水面に映る自分の顔を見た。まだ何者でもない顔。ヴァルドは隣で手を洗い、濁った水を払い落とす。大きくなる途中の手だ。力はあるが、まだ届かないものの方が多い。 夜、廃屋に戻ると、風が隙間から入り込む。二人は背中合わせに座り、互いの体温で寒さを凌ぐ。遠くで歓声が上がる。裏闘技場の音だ。金持ちの笑い声が風に乗って届く。ヴァルドは耳を澄まし、唇を噛む。ゼルクは目を閉じる。あの輪の中に入れば、今日よりは食えるかもしれない。だが同時に、戻れなくなる気配もある。まだ、その時ではない。そう直感している。 眠りに落ちる前、ゼルクは小さく言う。「明日も、取るぞ」。ヴァルドは「ああ」とだけ返す。約束というほど大げさではない。ただの確認だ。明日も生きる。その日の命を繋ぐ。それだけが、二人の計画だった。 夜更け、月が雲間から覗く。白い光が崩れた天井の隙間から差し込み、少年たちの横顔を淡く照らす。角も牙も、まだない。ただ、痩せた肩と擦り傷だらけの手がある。強さも奇跡も発現していない。だが、背を預ける温もりだけは確かだった。世界がどれほど冷たくとも、その小さな熱が消えない限り、二人は朝を迎えることができる。そう信じるしかない夜だった。⸻(BL感がより強いオマケのオマケの続き)その日も月光道場は賑わっていた。王者がときおり顔を出して手本を見せるようになってから、子供たちの集中力は目に見えて上がっている。もっとも当人は「手伝いだ」と言い張っているが、広場の端に立つだけで空気が引き締まるのだから、影響は絶大だ。その日の稽古は、王者が若者たちの組手の相手を軽く務めたあと、子供たちにも簡単な型を見せる流れになった。大きな体が無駄なく動き、踏み込みも引きも美しい。わざと力を抑えているのが分かるのに、それでも格の違いは隠せない。見ている子供たちの目が、きらきらと輝いている。「すげえ……」誰かが呟き、それが小さな波紋のように広がる。ゼルクは腕を組み、少し離れた位置からそれを眺めていた。誇らしい、という感情を隠すつもりはないが、顔に出すのは癪だ。王者が最後に軽く手を上げて締めると、子供たちは一斉に駆け寄った。「ヴァルド様、次いつ来るの!」「先生より強いの!?」無邪気な問いに、王者は困ったように笑う。「先生のほうが厳しいぞ」さらりと返すと、子供たちがどっと笑う。ゼルクは眉をひそめる。「余計なこと言うな」そのやり取りを見ていた一番年少の少女が、きょとんと首を傾げた。そして、あまりにも自然な調子で爆弾を投げた。「ねえ、先生と王者って、結婚してるの?」一瞬、丘の空気が止まった。ゼルクの腕が、ぴたりと固まる。王者は目を瞬かせたまま動かない。周囲の子供たちは「えっ?」と顔を見合わせ、次の瞬間には興味津々の目を向けてくる。「してるの?」「先生は王者のお嫁さんなの?」「どっちがお嫁さん?」矢継ぎ早に飛ぶ質問。「はあ!?」とゼルクが声を荒げる。「してねえ!」だが否定の勢いが、かえって図星のように響いたらしい。子供たちは一斉ににやにやしはじめる。「でもいっつも一緒じゃん」「同じ家だよね?」「王者、先生のことすごい見てるし」ゼルクは言葉に詰まる。見ているのはお互い様だ、とは言えない。頬がじわりと熱くなるのを自覚し、ますます声が荒くなる。「ち、違う! あれはだな、ただの――」「ただの?」無邪気な追撃。横を見ると、王者が口元を押さえている。笑いを堪えているのが丸分かりだ。「おまえ、否定しろ」低く睨むと、王者はわざとらしく咳払いをした。「そうだな……結婚はしていない」妙に落ち着いた口調。子供たちが「ほら!」と騒ぐ。だが続く一言が、さらに火に油を注いだ。「だが、大事な相手だ」一拍の沈黙。そして、爆発。「やっぱり!!」「ほらほらー!」「先生、顔赤い!」ゼルクは完全に言葉を失った。否定したいのに、否定の仕方が分からない。大事だと断言されたことが、胸の奥を熱くするからだ。「お、おまえな……!」王者は涼しい顔で子供たちに向き直る。「先生は強い。俺がいなくても立っていられる。だから、隣にいる」その言い回しがあまりにも堂々としていて、子供たちは「かっこいいー!」と歓声を上げる。ゼルクは思わず頭を抱えた。「だからそういう言い方すんな!」「事実だ」「やめろ!」少女がにこにこしながら言う。「じゃあ、結婚したら教えてね!」「しねえ!」即答するが、声が裏返る。子供たちはそれを面白がり、しばらくからかい続けた。ようやく解散し、丘が静かになるころ、ゼルクは深いため息をついた。「……最悪だ」隣では、王者がまだ肩を震わせている。「随分楽しそうだったな」「楽しいぞ」「俺は楽しくねえ!」睨みつけると、王者は少しだけ真面目な顔になった。「嫌だったか」その問いに、ゼルクは一瞬詰まる。嫌か、と聞かれれば、答えは単純ではない。からかわれるのは腹立たしい。だが、「大事な相手」と言われたときのあの熱は、否定できない。「……ガキ相手に変なこと言うなってだけだ」ぼそりと返すと、王者は小さく笑う。「次はもっと上手く否定する」「次もあんのかよ!」夕暮れの丘に、二人の声が響く。欠けた月が、薄く空に浮かんでいる。ゼルクはそっと横目で隣を見る。王者はもう“王者の顔”ではない。ただ穏やかな表情で、丘の向こうを眺めている。結婚しているわけでもない。嫁でもない。だが、隣にいる。それで十分だ、と言われた気がして、ゼルクはそっぽを向きながら小さく呟く。「……次言ったら、本気で殴るからな」その声は、思っているよりずっと柔らかかった。⸻夜は、思いのほか静かだった。子供たちの爆弾発言から数日が経っても、ゼルクの胸の奥には妙な熱が残っている。丘の上ではいつも通り振る舞えたが、家に戻ると、どうにも落ち着かない。食事を終え、火を落とす。窓の外には、細くなった月。部屋の中は、柔らかな灯りだけが揺れている。ヴァルドは鎧を外し、簡素な衣に着替えていた。肩や腕の傷はまだ完全には塞がっていない。ゼルクは無言で布と薬草を持ってくる。「座れ」短く命じると、ヴァルドは素直に従った。包帯をほどき、新しい布を巻く。指先が、肌に触れる。戦いで鍛えられた身体は温かく、確かな重みがある。再生に頼らない身体だからこそ、その体温はどこか生々しい。「……痛むか」「いや」答えは簡潔だが、呼吸がわずかに深くなる。巻き終えて手を離そうとした瞬間、逆に手首を掴まれた。力は強くない。だが、逃がさないという意志はある。ゼルクの心臓が、ひとつ大きく跳ねる。「何だ」「触れられるのは、嫌か」低い声。舞台の響きではない。丘の上の穏やかさとも違う、もっと近い距離の音。ゼルクは視線を逸らす。月明かりが差し込み、床に淡い影を落とす。嫌か、と問われて、即答できない。触れられるたびに、胸の奥がじわりと熱を持つ。安心と、焦りと、どうしようもない期待が混じる。「……ずるい」ぽつりと零れた。ヴァルドの指が、わずかに強くなる。「何が」「嫌って言えねえの分かってて聞くな」正面から見れば、きっと顔は赤いだろう。だが視線は上げない。ヴァルドはしばらく黙っていた。掴んでいた手首を、今度はゆっくりと引き寄せる。距離が縮まる。呼吸が触れ合うほど近い。「言わなくていい」静かな声。「ただ、確かめたかった」ゼルクの角が、ほんのりと光る。欠けた月の夜だというのに、淡く応える。指先が、今度は頬に触れる。戦場で人を倒すための手が、驚くほど慎重に、輪郭をなぞる。ゼルクは目を閉じた。拒む理由はない。だが、受け入れるのは、いまだに怖い。守る側でいたい自分と、守られたいと願う自分が、胸の奥でせめぎ合う。「……俺は、隣に立つんだぞ」かすれた声。「分かってる」即答だった。「だから、触れる」その理屈は乱暴で、けれど真っ直ぐだ。額が触れ合う。月明かりが、二人の影をひとつに重ねる。ゼルクは小さく息を吐き、ようやく視線を上げた。「次、同じ聞き方したら殴る」「次は聞かない」「それもずるい」ヴァルドが笑う。その笑いは、群衆に向けるものではない。誰にも見せない、柔らかな温度。触れた手は、強引に引き寄せるでもなく、ただそこにある。選べる距離を残したまま、離れない。ゼルクはゆっくりと身体を預ける。ほんのわずかに。それだけで、十分だった。欠けた月の夜。満ちきらない光の下で、二人の呼吸は静かに重なる。言葉にしなくても、触れた体温が答えになる。ずるい、と呟いた声は、もう震えていなかった。⸻その夜以来、ゼルクは自分の身体の扱いに少し困るようになった。何が変わったわけでもない。朝は来るし、丘には風が吹き、子供たちは相変わらず騒がしい。ヴァルドも普段通りに道場へ顔を出し、必要以上に前へ出ることはせず、しかし立っているだけで空気を整えてしまう。ただ――ゼルクのほうが、落ち着かない。朝、井戸から水を汲み上げるとき、背後に気配を感じるだけで妙に肩に力が入る。振り向けば、ヴァルドが腕を組んで空を見ているだけだ。何もしていない。何もしていないのに、昨夜の低い声が、不意に脳裏に蘇る。「触れられるのは、嫌か」思い出した瞬間、桶を持つ手が滑った。水が半分こぼれる。「……何やってる」背後から声が飛ぶ。「うるせえ、滑っただけだ!」必要以上に語気が強くなる。ヴァルドは怪訝な顔をするが、追及はしない。ただ黙って桶を持ち直すのを手伝う。その指先が、わずかに触れる。それだけで、心臓が跳ねる。自分の反応に腹が立つ。道場ではさらにひどい。子供たちの前では平静を装っているが、ふと視界の端にヴァルドの姿が入ると、言葉を一拍置いてしまう。「先生、いま噛んだ?」「噛んでねえ!」動揺を見抜かれている気がして、余計に苛立つ。組手の見本を見せるときも、普段なら無意識に身体が動くのに、なぜか“見られている”ことを意識してしまう。踏み込みの角度、腕の振り、呼吸の整え方。完璧であろうとする自分がいる。(何だよ、これ)戦っていた頃の緊張とは違う。命のやり取りの張り詰めた感覚ではなく、もっと私的で、逃げ場のない意識。昼過ぎ、稽古が終わると、ヴァルドが水を差し出してくる。「今日は力が入りすぎてた」図星だった。「……別に」「俺のせいか」真顔で言われ、ゼルクは盛大にむせた。「違う!」子供たちがくすくす笑う。最悪だ。ヴァルドはそれ以上追わない。ただ、いつもの穏やかな表情で隣に立つ。その距離が、以前より近く感じるのは、ゼルクの意識のせいだ。夜になればなおさらだ。同じ屋根の下、同じ部屋の空気。以前は気にもしなかった寝返りの音や衣擦れが、やけに鮮明に耳に届く。灯りを落としたあとも、気配がそこにある。背を向けて横になるが、眠れない。(気にするな)そう言い聞かせても、あの夜の月明かりと、頬に触れた指先の感触が蘇る。不意に、背後から声がする。「起きてるな」低い、落ち着いた声。「……起きてねえ」即答が速すぎる。布越しに、わずかに距離が縮まる気配。触れてはいない。触れてはいないのに、体温が近い。「今日は妙だった」「おまえが言うな」「何もしてない」「それが悪い!」沈黙のあと、喉の奥で小さな笑いがこぼれる。ゼルクは枕に顔を押しつけた。守るとか、隣に立つとか、そういう大きな言葉なら扱える。だが、こうして日常の隙間に入り込んでくる距離は、どう扱えばいいのか分からない。「……明日から、もっと離れろ」「嫌だ」即答。ゼルクは天井を睨む。(ずるい)またその言葉が浮かぶ。だが同時に、離れたら落ち着くのかと自問して、答えが出ないことに気づく。きっと落ち着かない。むしろ余計に意識する。結局、眠りに落ちる直前、ゼルクは小さく呟いた。「……見るな」「見てない」「嘘つけ」だがその声には、もう怒気はない。慌ただしく、落ち着かず、妙に胸が熱い日々。それでも朝になれば、また並んで丘に立つ。隣にいることを、いちいち意識してしまう自分に戸惑いながら。そしてその戸惑いすら、どこか甘く感じてしまうことに、まだゼルクは気づかないふりをしていた。⸻夜は、ひどく静かだった。昼間の稽古の疲れがまだ残っているはずなのに、ゼルクはなかなか眠れずにいた。ここ最近ずっとそうだ。隣にいる気配を、必要以上に意識してしまう。呼吸の間隔、寝返りの音、布が擦れる微かな気配。すべてが近い。背を向けて目を閉じていても、分かる。ヴァルドも起きている。沈黙が、やわらかく張りつめる。「……ゼルク」低い声が、暗闇に溶ける。返事をするか迷い、ほんの一拍遅れて「何だ」と応じる。声が少しだけ掠れているのを、自分で自覚している。しばらく言葉は続かない。ただ、距離がわずかに縮まる。触れてはいない。だが、体温が近づく。「このままじゃ、誤魔化せない気がする」静かな告白のようだった。何を、と聞かなくても分かる。ここ数日のぎこちなさ。触れれば止まらなくなりそうな予感。それでも、どちらも決定的な一歩を踏み出さなかった理由。ゼルクは、ゆっくりと身体を向けた。暗がりの中で、目が合う。月明かりが薄く差し込み、互いの輪郭を淡く縁取る。「……怖いか」ヴァルドの問いは、あまりに真っ直ぐだ。ゼルクは少しだけ笑った。強がりではない、困ったような笑み。「怖くねえって言ったら、嘘になる」戦うことは怖くなかった。傷つくことも、倒れることも。だが、失うことは怖い。守りたいと認めた相手を、近くに置くことは、想像以上に重い。ヴァルドは手を伸ばす。その動きは慎重で、以前のように問いかけるような触れ方ではない。ただ、指先が頬に触れる前で止まる。「嫌なら、止める」選択を残す声。ゼルクはその手を見つめ、それから自分から距離を詰めた。頬が掌に触れる。「……また聞くのか」かすれた声。「聞かない」「ずるい」小さく笑い合う。そのまま、額が触れる。呼吸が混じる。指先が頬から首筋へ、肩へとゆっくり降りる。確かめるような動き。急がない。奪わない。ゼルクの角が、淡く光る。満月ではない。だが、内側から湧く光は穏やかで、深い。「おまえは、王者だろ」唐突な言葉に、ヴァルドの指が止まる。「ここでは違う」即答。「ここでは、ただの……」言葉を探す間に、ゼルクが口を塞ぐように唇を重ねた。初めてのそれは、ぶつかるように拙い。だが離れたあと、目を逸らさない。「ここでも王者だ」息がかかる距離で、低く言う。「俺が選んだ王者だ」その言葉が落ちた瞬間、ヴァルドの表情がわずかに揺れた。舞台で見せる完璧な笑みでも、丘での穏やかさでもない、むき出しの感情。次の口づけは、先ほどよりも深い。押し付けるのではなく、受け止めるように。触れた指先が背中へ回る。ゼルクは一瞬だけ息を詰めるが、拒まない。むしろ、衣の端を掴む。「……痛くすんなよ」照れ隠しのような声。「しない」低い約束。寝台に身体を預けると、月明かりが二人を包む。衣がほどける音が、やけに大きく聞こえる。触れるたびに、互いの呼吸が変わる。戦いとは違う緊張。だが、逃げたいとは思わない。ヴァルドの手が、背を撫でる。力強いはずの手が、驚くほど優しい。ゼルクは思わず目を閉じ、指先でその背に触れ返す。「……おまえも、怖いか」ゼルクが問う。ヴァルドは一瞬考え、それから小さく頷いた。「失うのは、怖い」その正直さに、胸が締めつけられる。ゼルクは首に腕を回し、引き寄せた。「なら、離れるな」命令のようで、願いのような声。唇が重なり、呼吸が乱れ、やがて言葉は途切れる。触れ合う体温が、境界を曖昧にしていく。角の光が、穏やかに満ちる。一線を越えるのは、劇的な瞬間ではなかった。叫びも、誓いもない。ただ、確かめ合うように、ゆっくりと距離を失くしていく。やがて静かな波が引いたあと、二人は額を寄せたまま、しばらく動けなかった。「……後悔は」ヴァルドが、低く問う。ゼルクは薄く笑う。「させるか」その声は、戦場よりも強かった。欠けた月の夜。光は満ちきらずとも、二人の間に影はなかった。守る者と、守られる者ではない。並んで立つ者同士として。静かに、確かに、境界を越えていた。⸻夜が明ける少し前、ゼルクはふと目を覚ました。腕の中に、確かな重みがある。自分より大きなはずの身体が、わずかに体温を預けている。規則正しい呼吸が胸元に当たり、くすぐったいほど近い。一線を越えた、という実感は、派手な余韻ではなく、静かな事実としてそこにあった。逃げたいとは思わない。だが、どう顔を合わせればいいのかは、少し分からない。ゼルクはそっと視線を落とす。ヴァルドの寝顔は、驚くほど無防備だった。闘技場で見せる威厳も、群衆を導く光もない。ただ、疲れを滲ませた穏やかな横顔。(王者、ねえ……)胸の奥が、じわりと熱くなる。指先で、無意識にその髪を払う。触れた瞬間、ヴァルドのまぶたが薄く開いた。目が合う。ほんの一拍、互いに何も言えない。「……起きてたか」低い、寝起きの声。「いまな」短い応酬。けれど、その間に流れる空気は昨夜までとは違う。距離が、明らかに近い。ヴァルドはゆっくりと腕を緩める。だが完全には離れない。確かめるように、額を軽く寄せる。「後悔は」昨夜と同じ問い。ゼルクは目を細めた。「しつこい」だが、拒絶の響きはない。「してねえよ」はっきりと言い切る。その言葉に、ヴァルドの肩からわずかに力が抜けるのが分かる。王者でも英雄でもない、ただの男の安堵。ゼルクはそれを見て、胸の奥が強く締まった。(こいつも、怖かったんだな)失うことを恐れるのは、自分だけではない。触れた温度が消える未来を想像して、躊躇していたのは同じだ。ゼルクはそっと手を伸ばし、今度は自分から抱き寄せた。「離れんな、って言っただろ」低い声。ヴァルドは小さく笑い、腕を回す。「離れない」短い約束。やがて朝の光が差し込み、丘の向こうから子供たちの声が聞こえはじめる。日常は待ってくれない。ゼルクは名残を振り切るように身体を起こす。「……顔、普通にしろ」「普通だ」「嘘つけ」自分の頬が熱いのを自覚しながら、乱暴に衣を整える。外に出れば、いつもの丘。いつもの風。月は淡く消え、太陽が昇る。子供たちが駆け寄る。「先生ー! 王者ー!」無邪気な声。ゼルクは一瞬だけ、隣を見る。ヴァルドは穏やかな表情で頷く。その目の奥に、昨夜の深い温度が残っているのを、ゼルクだけが知っている。「今日は型を増やすぞ!」わざと大きな声で告げる。子供たちが歓声を上げる。その横で、ヴァルドが小さく呟く。「声が大きい」「うるせえ」だがそのやり取りは、どこか柔らかい。並んで立つ。守る者と守られる者ではなく、同じ場所を選んだ者として。本音のさらに奥を知ったからこそ、以前よりも強く、自然に。欠けた月はまた巡り、いずれ満ちるだろう。だが今は、朝の光の下で、確かな体温が隣にある。それだけで、ゼルクの胸は静かに満ちていた。⸻それは、あまりにも分かりやすい変化だった。一線を越えた翌日からというもの、二人の距離は微妙に、しかし確実に近い。触れ合う時間が増えたわけではない。むしろ人前では以前より控えめですらある。だが――空気が違う。丘の上で並んで立つだけで、目線が合う回数が増えている。言葉を交わす前の一拍が、柔らかい。ゼルクが何かを言い淀むと、ヴァルドがほんの少しだけ口元を緩める。その些細な変化を、子供たちが見逃すはずもなかった。「ねえ」最初に声を上げたのは、あの年少の少女だった。稽古終わり、汗を拭きながら、無邪気な顔で二人を見上げる。「やっぱり、結婚したの?」空気が止まった。ゼルクの手から布が落ちる。ヴァルドは一瞬だけ瞬きをする。周囲の子供たちが一斉に振り向く。「え、したの?」「昨日なんか距離近くなかった?」「先生、今日ずっと顔赤いよ!」「赤くねえ!」反射的に叫ぶ。だが声が裏返る。少女は首をかしげる。「でも、なんか違うよ?」その“なんか”が的確すぎる。ゼルクは言葉を探す。否定するべきだ。いつも通り「してねえ」と一蹴すればいい。だが、口を開いた瞬間、ほんの一瞬だけヴァルドと目が合った。その目に、昨夜の温度がよぎる。そして――。「……まあ」低い声が落ちた。ゼルクがぎょっとする。ヴァルドは、子供たちを見下ろしながら、妙に落ち着いた声で続ける。「近い存在ではある」静まり返る丘。一拍。「ほらあああああ!!」子供たちが爆発した。「やっぱり!」「結婚だ!」「先生、お嫁さん!」「違う!!!」ゼルクが叫ぶが、説得力がない。なにしろ、完全否定が出なかった。少女がさらに踏み込む。「じゃあ、好き同士?」ゼルクの思考が停止する。否定するのか。否定できるのか。横を見ると、ヴァルドが真面目な顔でこちらを見ている。逃げ場がない。ゼルクはぎり、と奥歯を噛み、顔を背けたまま、低く吐き出す。「……否定は、しねえ」沈黙。そして。「きゃーーー!!」子供たちが跳ね回る。「先生、言った!」「王者も言え!」「どっちから告白したの!?」「やめろ! 質問が多い!」ゼルクの耳まで真っ赤だ。ヴァルドはというと、咳払いをひとつしてから、妙に堂々とした声で言う。「先生は、俺の大事な人だ」決定打だった。丘が揺れるほどの歓声。ゼルクは本気で頭を抱える。「おまえ……!」「嘘は言ってない」「そういう問題じゃねえ!」子供たちは「お嫁さんー!」「王者の奥さんー!」と好き放題だ。ゼルクは真っ赤なまま怒鳴る。「誰が嫁だ! 俺は隣に立つんだって言ってんだろ!」「じゃあ旦那さん?」「どっちがどっち?」「そこ掘るな!」完全に遊ばれている。ヴァルドは口元を押さえているが、目が笑っている。ゼルクはそれを見て、ますます悔しくなる。「おまえも慌てろ!」「慌ててる」「嘘つけ!」だがその声には、もう本気の怒りはない。子供たちは最後に少女がまとめるように言った。「じゃあ、結婚したらまた教えてね!」ゼルクは即答しようとして――一瞬、言葉が詰まる。その沈黙を、子供たちは見逃さなかった。「今ちょっと考えた!」「考えたよね!?」「考えてねえ!!」だがもう遅い。ひとしきり騒いだあと、子供たちは満足げに帰っていく。夕暮れの丘に、静寂が戻る。ゼルクは顔を覆ったまま、深く息を吐く。「……最悪だ」隣から、低い笑い。「否定しなかったな」「おまえが先に変な言い方するからだろ!」ヴァルドは少しだけ近づく。「嫌だったか」またそれだ。ゼルクは睨み上げる。「その聞き方、ずるいって言っただろ」ヴァルドは柔らかく笑う。「嫌なら、直す」その真面目さが、さらにずるい。ゼルクは視線を逸らし、小さく呟く。「……嫌じゃねえよ」風が吹く。欠けた月が、薄く浮かぶ。二人は並んで立つ。子供たちに見抜かれた関係は、もう隠しきれない。だがそれでいいと、どこかで思っている自分がいる。ゼルクは小さく肩をぶつけた。「次、あいつらに何か聞かれたら、おまえ全部答えろ」「分かった」即答。「……何でもか?」わざと問い返すと、ヴァルドは少しだけ目を細める。「必要なことだけだ」その含みのある言い方に、ゼルクはまた顔を赤くする。丘の上に、二人の影が並ぶ。今度はもう、問いの答えは変わらない。慌てながらも、誤魔化しきれないまま。それが、いまの二人だった。⸻噂というものは、子供の口から広がるときがいちばん速い。しかも今回のそれは、やけに楽しげで、否定しきれない種類のものだった。「先生と王者、好き同士なんだって!」丘の上で弾けたその言葉は、あっという間に市場へ流れ、酒場へ渡り、翌日にはすっかり“事実”の顔をして歩き回っていた。ゼルクがその異変に気づいたのは、いつもの野菜売りの屋台の前だった。「おう先生、今日は二人かい?」にやにやとした顔。隣には当然のようにヴァルドが立っている。最近は手伝いだ何だと言って、買い出しにまで同行することが増えた。「……二人だと何だ」ゼルクが警戒すると、野菜売りは大げさに手を振る。「いやあ、お祝いだと思ってな!」「は?」「おめでとう!」周囲の屋台からも、くすくすと笑いが漏れる。ゼルクの眉間に皺が寄る。「何の話だ」「とぼけるねえ! 丘の子らが言ってたよ? 先生と王者が――」言いかけたところで、野菜売りはわざとらしく口を塞ぐ。「いやいや、言わなくても分かるよなあ?」「分からねえ!」即答するが、声が少し高い。ヴァルドは横で腕を組み、妙に落ち着いている。「祝われることは、悪いことじゃない」「肯定すんな!」ゼルクが噛みつくと、野菜売りはどっと笑った。「ほら見ろ、照れてる照れてる!」「照れてねえ!」「先生、顔赤いぞ」周囲の大人たちが面白がって口を挟む。「王者も隅に置けねえなあ」「丘の英雄同士か、こりゃあ縁起がいい!」ゼルクは本気で帰ろうかと思った。だが次の瞬間、野菜売りが袋いっぱいの野菜をどさりと積む。「今日は割引だ! いや、ほとんどお祝いだな!」「いらねえ!」「遠慮すんなって! 幸せのおすそ分けだ!」ヴァルドが静かに袋を受け取る。「感謝する」堂々とした声。「だから受け取るな!」ゼルクが小声で抗議するが、野菜売りは満面の笑みだ。「先生、王者を大事にしろよ?」その一言に、ゼルクは反射的に答えそうになり、口をつぐむ。隣を見る。ヴァルドは、いつもの穏やかな顔でこちらを見ている。群衆に向ける王者の顔ではない。だが逃げも隠れもしない視線。ゼルクは観念したようにため息をついた。「……言われなくても分かってる」ぽつりと漏れる。その瞬間、市場が「おおー!」とどよめいた。「聞いたか今の!」「これは本物だ!」「だから違うって言ってんだろ!」完全に包囲されている。ヴァルドが、少しだけ肩を寄せる。「帰るか」「帰る!」ゼルクは袋をひったくるように持ち、足早に市場を抜ける。背後から「お幸せにー!」という声が飛ぶ。丘へ向かう途中、ゼルクは顔を覆った。「最悪だ……」「嬉しそうだ」「どこがだ!」だが、胸の奥がほんのり温かいのは否定できない。祝われるというのは、悪い気分ではない。茶化され、冷やかされ、それでも嫌悪は湧かない。ヴァルドが歩調を合わせる。「噂は、困るか」またその問いだ。ゼルクは少しだけ考え、正直に答える。「……おまえが嫌じゃねえなら、別に」ヴァルドは短く笑う。「嫌なわけがない」その即答が、やけに胸に響く。丘に着くころには、夕暮れが差している。袋の中の野菜が重い。だが不思議と足取りは軽い。「次は肉屋も割引してくれるかもな」ヴァルドがぽつりと言う。「調子に乗るな」言いながら、ゼルクは小さく笑った。噂は広がり、からかいは続くだろう。だがそれは、二人がこの街に根を張っている証でもある。欠けた月が、薄く空に浮かぶ。茶化されながら、祝われながら。並んで歩く影は、もう隠れるつもりがなかった。⸻家に戻るころには、夕暮れはすっかり夜に溶けかけていた。袋いっぱいの野菜をどさりと台に置き、ゼルクは深く息を吐く。「……二度と市場行かねえ」ぶつぶつと呟きながら、野菜を取り出す手つきが妙に荒い。芋を転がし、葉物を引き抜き、やけに大きな音を立てる。ヴァルドはそれを黙って見ていたが、やがて低く笑った。「割引はありがたい」「おまえはな!」振り向きざまに睨む。「何であんな堂々としてられるんだよ」「事実だからだろう」あまりにも自然に言われ、ゼルクの動きが止まる。「……何がだ」「大事に思っていることが」さらりと。火にかけた鍋が、ぼこ、と小さく音を立てる。ゼルクは真っ赤になりながら、振り返らずに言う。「だからそういうの、外で言うなって」「家の中だ」「市場で言ったろうが!」「聞かれたから答えただけだ」悪びれない。ゼルクはついに振り返り、歩み寄る。「おまえなあ……!」勢いのまま、胸をぽか、と叩く。軽い音。ヴァルドは一瞬驚いた顔をし、それから口元を緩める。「痛い」「嘘つけ」もう一度、ぽか。「やめろ」「やめねえ」三度目。今度は手首を掴まれる。だが力は強くない。逃げられる程度に、ただ止めるだけ。目が合う。さっきまでの市場の喧騒とは違う、静かな距離。ゼルクは唇を噛み、視線を逸らす。「……からかわれて平気なのか」「平気だ」「俺は平気じゃねえ」正直な声だった。祝われることは悪くない。だが、ああもあからさまに言葉にされると、胸の奥を覗かれたようで落ち着かない。ヴァルドは手首を離し、代わりに頬へと指を伸ばす。「嫌だったか」またその聞き方。ゼルクは思わず、ぽか、と今度は肩を叩く。「ずるいって言ってんだろ!」今度は少し強め。ヴァルドは小さく笑い、肩を竦める。「怒っている割に、力が弱い」「本気で殴ったら困るのはおまえだろ」「受ける」即答。ゼルクは一瞬言葉を失い、それから勢いよく額を押しつけた。「そういうとこだ!」額同士が軽くぶつかる。静かな部屋に、二人の荒い呼吸だけが残る。やがて、ゼルクは小さく笑った。「……嬉しくねえわけじゃねえんだ」ぽつりと零れる。「ただ、慣れてねえだけだ」守るとか、選ぶとか、大きな言葉は扱えても、“祝われる”という形で自分たちの関係を外側から認められるのは、まだ照れくさい。ヴァルドはその言葉を噛みしめるように頷いた。「ゆっくり慣れればいい」「おまえは慣れすぎだ」「王者だからな」その冗談に、ゼルクは思わず吹き出す。「家の中で王者やるな」「じゃあ何だ」問い返され、ゼルクは少し考え、そして低く答えた。「……俺の隣」ヴァルドの表情が、静かにほどける。次の瞬間、そっと抱き寄せられる。「それでいい」胸に顔を押しつけたまま、ゼルクはもう一度、ぽか、と叩く。だが今度は弱い。照れ隠しの名残のような、軽い一撃。「……外であんなこと言うなよ」「分かった」「本当か」「必要なときだけ言う」「それがずるい!」笑いが、静かに重なる。市場で冷やかされ、丘で騒がれ、それでも最後はこの家に戻る。灯りの下、二人の影が重なる。ぽかぽかとしたやり取りのあと、ゼルクは小さく息を吐いた。「……まあ、割引は悪くねえ」ヴァルドが肩を揺らす。「次は肉だな」「調子に乗るな」そう言いながらも、ゼルクの声はもう柔らかい。照れと、温もりと、確かな実感。ぽかぽかと叩いた手は、最後には自然とその胸元に置かれていた。⸻夜は、思いのほか静かだった。市場のざわめきも、子供たちの歓声も、家に戻ってからのぽかぽかとしたやり取りも、すべてが遠くへ沈んでいく。灯りを落とした部屋には、窓から差し込む淡い月明かりだけが残る。ゼルクは寝台の端に腰を下ろし、まだどこか落ち着かない様子で髪をかきあげた。「……今日は疲れた」小さく呟く。隣で上着を脱いだヴァルドが、静かにこちらを見る。「騒がれすぎたな」「おまえが余計なこと言うからだ」そう言いながらも、声に刺はない。しばらく無言のまま、二人は並んで座っていた。夜の静けさが、ゆっくりと体温を際立たせていく。さっきまでの冗談や照れは、少しずつ別の温度へと変わっていく。ヴァルドの指が、そっとゼルクの手に触れた。逃げない。それどころか、ゼルクの指先がわずかに絡む。月明かりに照らされた横顔は、昼間の教師の顔でも、市場で赤くなっていた顔でもない。少しだけ緊張を含んだ、静かな表情。「……嫌なら言え」低い声。ゼルクは小さく息を吸う。「その聞き方、ずるい」けれど、今夜は叩かない。代わりに、視線を上げる。「嫌じゃねえよ」その言葉は、はっきりしていた。ヴァルドの手が頬に触れる。親指がゆっくりと肌をなぞる。その動きは確かめるようで、急かさない。ゼルクは目を閉じる。触れられるたびに、胸の奥が静かにほどけていく。戦うときの強さも、からかわれたときの強がりも、この暗がりでは役に立たない。「……昼間のこと」ゼルクがぽつりと言う。「嫌じゃなかった」ヴァルドは答えない。ただ額を寄せる。呼吸が混じる。「隣に立つって言ったろ」「ああ」「……そのつもりでいろ」それは命令のようで、願いのようだった。ヴァルドはゆっくりと抱き寄せる。腕の中に収まる体温が、確かな重みを持って伝わる。ゼルクは抵抗せず、その胸元に顔を埋めた。鼓動が、近い。外で茶化されても、祝われても、こうして二人きりになると、ただ静かな確信だけが残る。唇が触れる。深くはない。けれど長い。指先が背をなぞり、布越しに伝わる熱が、じわりと広がる。ゼルクは小さく息を漏らし、ヴァルドの服を掴む。「……優しくしろよ」「分かっている」その声が低く、真剣で、余計に胸を締めつける。寝台へと倒れ込む動きも、急がない。確かめるように、触れて、止まり、また触れる。月は欠けている。けれどこの部屋の中では、満ちているものの方が多かった。やがて言葉は途切れ、代わりに静かな呼吸と、時折こぼれる名を呼ぶ声だけが残る。外の世界がどれだけ騒がしくても、この夜だけは二人のものだ。最後に、ゼルクが小さく笑った。「……明日、絶対顔に出る」ヴァルドがかすかに笑う。「出てもいい」「よくねえ」そう言いながら、腕は離さない。月明かりの中、影はひとつに重なったまま、ゆっくりと夜に溶けていった。⸻丘の午後は、いつもより少しだけ騒がしかった。ゼルクは子供たちの相手を終え、水を飲みながら息を整えている。汗に濡れた髪を無造作にかきあげ、軽く笑いながら何かを説明している横顔は、教師としての落ち着きと、どこか艶を帯びた柔らかさを併せ持っていた。そこへ、見慣れない男が現れた。旅装束。年はゼルクとそう変わらない。剣士らしい身のこなしだが、表情は軽い。「へえ、あんたが“丘の先生”か」気さくに声をかける。ゼルクは視線を向け、少しだけ警戒を含ませながらも応じる。「何か用か?」「ちょっと腕を見てもらいたくてさ。王者の町だって聞いて来たんだけど、王者よりあんたの方が有名みたいで」軽口。子供たちが「先生すごいんだぞー!」と囃し立てる。ゼルクは苦笑しながらも、男の構えを見る。「まあ、軽くなら」剣を交える。軽い手合わせのつもりだった。だが男は意外と腕が立つ。ゼルクも本気ではないが、楽しそうに応じる。間合いが近い。踏み込み、受け流し、距離を詰める。「はは、強いな!」男が笑い、ゼルクの肩をぽんと叩く。その瞬間だった。丘の入口に立っていた影が、動く。ヴァルド。遠征から戻ったばかりで、まだ鎧の一部を外しただけの姿。いつもなら、王者としての穏やかな微笑を浮かべ、子供たちに手を振るはずの男。だが今は違う。視線が鋭い。丘の空気が、わずかに冷える。男は気づかず、ゼルクに近づく。「今夜、飲まないか? 色々教えてくれよ」軽い誘い。子供たちが「先生モテるー!」と騒ぐ。ゼルクは肩を竦める。「悪いが――」そこへ、低い声。「その必要はない」空気が止まる。振り向いた男が、初めて王者を見る。だがそこにいるのは、歓声に応える英雄ではなかった。ただの、背の高い男。目が、笑っていない。「……ああ、あんたが王者か」男が軽く会釈する。ヴァルドはゼルクの隣に立つ。近い。わずかに、肩が触れる。「彼は忙しい」穏やかな口調だが、隠しきれない圧が滲む。ゼルクが眉をひそめる。「おい」だがヴァルドは視線を男から逸らさない。「用があるなら、俺を通せ」王者の物言いではない。保護者でもない。ただの男の声。男は苦笑し、両手を上げる。「悪かったよ。ちょっと話しかけただけだ」空気の重さに耐えきれず、早々に去っていく。子供たちも、なんとなく静かになる。ゼルクはしばらく無言で立ち尽くし、やがて振り向く。「……何だよ、今の」ヴァルドは答えない。ただ、ゼルクを見る。その視線に、隠しようのない感情が揺れている。「おまえ」ゼルクは気づく。「あれ、嫉妬か?」直球。ヴァルドの眉がわずかに動く。「違う」即答だが、遅い。「嘘つけ」ゼルクは一歩近づく。「王者の顔どこいった」沈黙。そして、低く。「……気に入らなかった」子供たちが目を丸くする。ゼルクも一瞬、言葉を失う。「何が」「触れた」短い。単純すぎる理由。ゼルクは数秒見つめ、それから吹き出す。「おまえなあ……」怒鳴るでもなく、呆れるでもなく。ただ、どこか嬉しそうに。「俺が誰と話そうが、俺の勝手だろ」「分かっている」「分かってねえ顔だ」ヴァルドは視線を逸らす。王者の威厳はどこにもない。ただの、拗ねた男。ゼルクは小さくため息をつき、子供たちの前だというのに、わざとらしくヴァルドの胸を指でつつく。「俺は、隣に立つって言ったろ」ヴァルドの目が揺れる。「……ああ」「他の奴と飲みに行く暇があると思うか?」一瞬、理解が追いつかない顔。それから、じわりと熱が戻る。子供たちが「王者赤い!」と囃す。ヴァルドは咳払いをするが、もう遅い。ゼルクは小さく笑う。「焼くのは勝手だが、顔に出すな。王者だろ」「今は違う」低い声。「今は、バルトだ」丘に、風が吹く。ゼルクは少しだけ目を細め、柔らかく言う。「……じゃあ、後でちゃんと焼け」ヴァルドの喉が鳴る。子供たちは意味が分からず首を傾げているが、二人の間には通じている。王者の仮面が剥がれ落ちたままの男と、わざと軽く笑う男。その距離は、いつもより近かった。⸻夜がどれほど燃えたのかは、翌朝の静けさがすべてを物語っていた。丘の教室は、いつもなら朝早くから子供たちの声で満ちる。だがその日は、扉の前に張り紙が一枚。『本日休講』子供たちはざわついた。「え、先生が休むの!?」「風邪?」「王者の遠征うつった?」その頃、家の中。寝台の上で、ゼルクは天井を睨んでいた。「……最悪だ」低い声。起き上がろうとして、ぴたりと止まる。わずかに顔をしかめる。「どうした」隣から、控えめな声。ゼルクは横目で睨む。「どうした、じゃねえ」ゆっくりと体を起こそうとするが、途中で動きが止まる。「……腰が痛い」ぼそり。ヴァルドは一瞬、理解して、視線を逸らす。「……すまない」「謝るな!」反射的に怒鳴るが、声に力はない。「おまえが、あんな顔するからだろうが……!」昨夜の嫉妬の余韻。王者の仮面を脱ぎ捨てた、ただのバルトの熱。思い出すだけで耳が赤くなる。ヴァルドは珍しく、ばつが悪そうに眉を寄せている。「加減はした」「してねえ!」即答。「した」「してねえって言ってんだろ!」やり取りの最中にも、ゼルクは小さく息を呑む。ヴァルドが慎重に近づく。「立てるか」「立てる……たぶん」立とうとして、やはり微妙な顔になる。ヴァルドは無言で支える。その自然さが余計に腹立たしい。「……今日は休む」「そうしろ」「誰のせいだと思ってる」「俺だな」あまりに素直で、ゼルクは言葉を失う。結局、張り紙を書いたのはヴァルドだった。筆跡はやけに堂々としている。「もっとそれっぽい理由書け」「正直に“腰痛”と書くか」「やめろ!」◇丘では、子供たちがざわざわと集まっていた。そこへ、ヴァルドが一人で現れる。「先生はどうしたの!?」「具合悪いの?」ヴァルドは一瞬だけ考え、淡々と答える。「腰が痛いらしい」静寂。そして爆発。「え!?」「どうして!?」「何したの!?」ヴァルドは口を閉ざす。子供たちは一斉に顔を見合わせる。「あっ……」「もしかして……」「昨日、なんかあった?」妙に察しがいい。ヴァルドは軽く咳払いをする。「詮索するな」だが耳が、ほんのり赤い。「王者、顔赤い!」「絶対なんかあった!」「先生とケンカした!?」「していない」即答だが、硬い。子供の一人が腕を組む。「じゃあ、王者が何かしたんだ」ヴァルドは言葉に詰まる。王者としてなら、どんな追及にも笑って応じられる。だが今は違う。ただの、気まずい男だ。「……無理をさせた」正直すぎる告白。「やっぱりー!!」丘が揺れる。「王者、ひどーい!」「先生に謝れー!」「謝った」「まだ足りない!」完全に包囲される。ヴァルドは珍しく押され気味だ。そのとき、遠くからゆっくりと歩いてくる影。ゼルクだった。ややぎこちない歩き方。「先生!」子供たちが駆け寄る。「大丈夫!?」「腰どうしたの!?」ゼルクは真っ赤な顔で叫ぶ。「うるせえ! ちょっと寝違えただけだ!」「へえー?」疑いの視線が一斉にヴァルドへ向く。ヴァルドは静かに目を逸らす。ゼルクはそれに気づき、ぽか、と軽く胸を叩く。「おまえ、余計なこと言ったな?」「事実しか言っていない」「だから言うな!」子供たちはきゃあきゃあと笑う。「先生と王者、仲良しだね!」「昨日もいちゃいちゃしてたの?」「してねえ!」即答するが、説得力は皆無。ヴァルドが静かに支えるように隣に立つ。その自然な距離に、子供たちはまた騒ぐ。ゼルクは小さくため息をついた。「今日は軽く読み書きだけだ。走るのは禁止」「先生が走れないからでしょ!」「違う!」丘に笑い声が広がる。ゼルクは横目でヴァルドを見る。「……今夜は加減しろ」小声。ヴァルドは真面目に頷く。「善処する」「善処じゃねえ、守れ」子供たちの前でそんなやり取りをしていることに気づき、ゼルクはまた赤くなる。丘の上、欠けた月は見えない昼間。だが空気は満ちている。王者の威厳はどこへやら。ただのバルトと、腰をさすりながら強がるゼルク。子供たちに囲まれながら、今日もまた、二人は笑われていた。 [0回]PR