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メモ(AI生成)
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◤三馬鹿(吸血鬼) 前日譚
第一章 サーシャ:土の下の目覚め◢
夜の匂いを、彼女は最初に思い出した。
冷たく、湿り、風が通らぬ――そのはずなのに、鼻腔の奥をひどく刺激するほど濃密な、黒い土の香り。
次に、胸を圧迫する“重さ”を感じた。
息を吸おうとしても、吸えない。まるで世界そのものが胸に座り込んでいるかのようで、身体は自分のものではないように動かなかった。
暗闇。
ひたすらに深く、わずかな光も差さない。
そのはずの闇が――
“揺れた”。
サーシャはその瞬間、自分がまぶたを閉じていたらしいと気づいた。
ゆっくりと瞼を押し上げる。
だが視界に広がったのは、闇の続きではなく、圧倒的な“黒い壁”であった。
土だった。
自分の顔すれすれを覆う、硬く詰まった黒土。
――ああ、埋められている。
その感覚は、恐怖よりも先に、ただ事実として脳裏に落ちた。
心臓が鼓動し始め、肺がようやく空気を求めた時、土が胸にぶつかって跳ね返ってきた。息をする空間などない。
そのとき、彼女の指先がかすかに動いた。
地上へ向けて、掌が自然と持ち上がる。
腐葉土の重みが手首にのしかかったが、サーシャは力の入れ方さえ忘れていた体を、ゆっくりと押し広げるように動かした。
爪が、土をかいた。
そのたった一度の動きで、胸の奥でなにかが“目を覚ました”。
力があった。
生前、決して持っていなかったはずの強さが、腕を、指先を、背筋を満たしていく。
思考より先に、身体が地上を求めた。
土の中を、手が掻き分ける。
腕が伸びる。
喉の奥で、言葉にならない空気が漏れた。
――生きなければ。
数度の掻き動作ののち、頭上からひんやりとした風が流れ込んだ。
月明かりが、わずかな銀色を差し込む。
サーシャは地表へと顔を出し、冷たい夜気を思いきり吸い込んだ。
肺が痛む。けれど、その痛みさえ懐かしかった。
胸の奥の“空腹”が、はじめて呻く。
彼女は両手で土を押し分け、上半身を地上に出す。
夜露に濡れた森の匂いが、乾き切った喉を刺した。
しばらくしてようやく、サーシャは呟いた。
「……ここ、は……?」
墓標は朽ちていた。
かつて自分の名が刻まれていたであろう石板は、苔とひびで原型を留めていない。
周囲の墓も同じだった。誰も訪れた気配がない。
まして近くに灯りも声も、村の気配すらなかった。
彼女は、そこで初めて気づいた。
――時間が、流れすぎている。
足元の土の新しさ、周囲の地形の変化。
自分が眠ったはずの年数をはるかに超えた“季節の積み重なり”が、森を変えていた。
ゆらりと立ち上がると、着ている布は朽ち、半ば土に還りかけていた。
村へ戻ろうと歩き始めたが、その村はもう影すら残していなかった。
焼け跡。
炭化した木柱。
草に埋もれた井戸。
家々の区画は影を失い、ただ地面に沈んだ線だけが、そこに暮らしがあったことを示していた。
静寂のなかで、夜風がひときわ冷たく頬をなでていく。
村が滅んだ理由はわからない。疫病なのか、戦なのか、炎なのか。
けれどどちらにせよ――もう誰もいない。
サーシャは村の跡を歩く。
一歩ごとに、空腹が胸の奥で小さく呻く。
生命の気配を求めるように。
しかし、涙は出なかった。
記憶は遠く、意識はまだ“生”の実感を結べていなかった。
やがて彼女は、村の外れに残る一本の大木の前に立つ。
生前、子供のころよく木陰で祈りを捧げた場所だ。
その根元に座り込み、ぽつりと呟いた。
「……私は……どうすれば……?」
返事はない。
けれど、森の奥からかすかな光が見えたような気がした。
その光の向こうに、古びた豪邸があるなど、サーシャはまだ知らない。
そこで暮らす、気品ある吸血鬼の青年が、孤独に蝋燭を灯しているなど――想像することすらできない。
空腹は、ゆっくりと彼女を森へと誘った。
運命を、三人の始まりへと。
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◤三馬鹿(吸血鬼) 前日譚
第二章 ナルシス:夜明けを嫌う者◢
吸血鬼の館に夜が降りるとき、世界はひとつ深い息を吐く。
森の奥――
人の道が途切れ、獣道すら消えるほどの深部に、その洋館は佇んでいた。
大きな翼を広げたような外観は、月光を受けて銀色に沈む。
しかしその美しさとは裏腹に、敷地の手入れはほとんどされていない。
絡みつく蔦は好き放題に伸び、庭の噴水はとうの昔に水を失い、ただ苔で緑色に曇っていた。
そんな豪邸の奥――唯一、人の痕跡が保たれる部屋がある。
真紅の天蓋。
磨き込まれた黒檀の棺。
ナルシスは、そこでゆっくりと目を覚ました。
まるで長い夢から醒めるように、まず細く息を吐き、次にしなやかな指で棺の蓋を押し上げる。
「……ふあ……っ。今日も吾輩は完璧だな」
寝起きの声ですら、どこか誇らしげだった。
棺の蓋を跳ね上げるように押し開け、ナルシスは優雅に上体を起こす。
その白い肌には一切の陰りがなく、金の瞳は夜の中でも宝石のように輝いていた。
しかし、部屋を一歩出れば、華麗さは急激に現実へ引き戻される。
誰も住んでいない長い廊下は薄暗く、古い肖像画の額縁には埃が積もっていた。
ナルシス自身、掃除に興味などないのだから当然である。
「……侍女でもいれば完璧なのだが。生憎、吾輩ほどの存在に仕えるに相応しい者が見つからんのだよな」
つぶやきながら歩く靴音が、広い館に虚しく響く。
そのこだまの寂しさに、ナルシスが気づくことはなかった。
館の最奥に、一枚の大きな肖像画がある。
布が丁寧にかけられ、決して埃ひとつ触れないよう大切に覆われている。
館にある唯一の“手入れの行き届いた物”だった。
ナルシスはその前で足を止める。
触れはしない。ただ、布越しに静かに見上げた。
「……今日も変わらず、美しい」
声はいつもの傲慢さとは違い、どこか遠い響きを帯びていた。
肖像画に描かれているのは、人間の女性。
まだ誰も知らないが、ナルシスがただ一度だけ心から愛した相手である。
愛されたことは、ない。
吸血鬼に寄り添えるほどの強さを彼女は持っていなかったし、ナルシスもまた上手く愛せなかった。
けれど――忘れられなかった。
その想いだけが、この豪邸に灯る最後の“火”となっていた。
「……ふん。吾輩に相応しいのは、この世にただ一人。
あの夜……選ばれなかったのは、彼女の弱さのせいだ。吾輩の責ではない」
言い聞かせるような独り言は、頬をかすめる冷たい風にさらわれていく。
豪邸の窓は隙間風を防ぐ力をとうに失っていた。
ナルシスは視線を逸らし、代わりに広い廊下へ歩み出る。
部屋を出ると、いつもの堂々とした笑みが戻る。
「さて。血を求めて森を巡るか。庶民どもは今日も美味であるとよいが」
優雅に扉を押し開け、外へ出た。
そのときだった。
とても、遠く。
けれど確かに――
“何かが生まれる気配”が、森の奥で揺らいだ。
土を割り、夜の底から立ち上がるような、奇妙に湿った気配。
吸血鬼であるナルシスは、それを敏感に感じ取る。
「……ほう? 今夜は妙に愉快な匂いがするな」
唇が弧を描いた。
その気配が、数日後に“あのちびっこい小娘”と出会うきっかけになるとは、当然知らない。
あの日、すべては静かに動き始めていた。
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◤三馬鹿(吸血鬼) 前日譚
第三章 一狼:月の下で息を潜める者◢
森の奥深く――
そこには、月明かりが届かぬほどの巨木が連なる谷があった。
その谷を住処とする狼男の一族は、夜の支配者と呼ばれていた。
圧倒的な嗅覚と脚力、鋭い爪、強靭な躯。
月の光に影を伸ばすたび、遠吠えが木々を震わせ、森に棲むあらゆるものが身を縮める。
その群れの中で、一狼はひっそりと肩を落としていた。
焚き火の赤い光が揺れ、仲間たちが話し込み、笑い、武勇を誇り合う声が響く。
男たちは狩りの成果を競い、女たちは仔狼の成長を嬉しそうに語り合っていた。
だが、一狼はその輪に入らなかった。
輪に入れなかった、と言うほうが正確かもしれない。
「……あいつ、また端っこにいるぜ」
「人間の村に行ってたんじゃねえか? ああいう軟弱なのは困るな」
「吸血鬼を許すなんて論外だろ。ありえねぇよ」
ひそひそ声は耳に届く。
けれど、一狼は怒りも見せず、ただ苦笑した。
「……俺、そんなに変かなぁ」
ぼそりと呟き、焚き火から少し離れて座る。
月の光が彼の黒髪を薄く照らす。
その目は優しく、けれどどこか寂しげだった。
吸血鬼は宿敵。
それが一族の鉄則であり、誇りであり、歴史だった。
けれど一狼は、小さな村で人間たちが暮らす姿を見てきた。
吸血鬼にも人間にも、穏やかな者たちがいるのを知っていた。
それを言えば、群れは鼻で笑う。
「甘い」「危ない」「情けない」。
そんな言葉にも、彼は反論しない。
ただ、胸の内に静かな違和感を抱き続けるだけだった。
その夜――
群れの長が焚き火の中心に立ち、低く唸った。
「明晩、吸血鬼の縄張りを狩る。奴らを山から追い出す」
焚き火の勢いが、誇らしげに燃え上がる。
狼たちの咆哮が谷に響き、一狼は眉をひそめた。
――どうしてそこまで、憎まなきゃいけないんだろう。
理由を考えようとしても、答えは出ない。
ただ群れがそう決めているから。
先祖がそうだったから。
そんな曖昧な憎悪は、一狼にはまったく馴染まなかった。
いつの間にか、ため息が漏れる。
「……俺、こういうの、向いてないな」
群れの視線は冷たく、一狼の背に常に“距離”を置いた。
皆とは歩幅が合わない。
同じ方向を向いているはずなのに、どうしても心だけが少し外れてしまう。
そんな夜が、何度も続いた。
やがて、一狼はそっと谷を離れた。
月明かりの下、群れに気づかれないよう静かに歩き出す。
行くあてもない。
けれど、このままここにいれば、心が自分でなくなっていく気がした。
「……俺、他のところで暮らしてみたいなぁ。
もっと静かで、のんびりしてて、誰も怒鳴らない場所で」
その声は、夜風に混ざりすぐに消えていった。
森の向こう。
吸血鬼の館など気にも留めず、一狼は歩いた。
新しい居場所を求めて。
そしてこのあと――
“謎の小娘”に背に隠れられ、
“気品ある吸血鬼”に噛まれ、
人生がとんでもない方向へ転がるとは、まだ想像もしていない。
ただ静かに。
ただ平和に暮らしたかっただけなのに。
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満月の光が森の奥まで沈み込み、湿った空気がひっそりと漂っていた。夜目の利く者であっても足元が見えづらいほどの暗さだが、彼――一狼は慣れた足取りで森を抜けていた。
「……はぁ、今日も騒がしかったなぁ」
穏やかな声が、静寂にさざ波を立てた。
群れは相変わらず“宿敵である吸血鬼”の話ばかり。争う気などとうにない自分としては、胸の奥が少しずつ重くなっていた。人間の集落に紛れて、もっと静かに暮らせないだろうか。そんな淡い願いを抱きながら、夜道を歩く。
――その時。
「……えっ?」
ぱさり、と乾いた音。草陰から飛び出した影が、一狼の背中に勢いよく埋まった。
ひんやりとした細い腕。土埃の匂い。
そして、震えも怒りも感じられない、ただ事実だけを述べるような一声。
「隠れます」
「え、ちょ、え? 危ないよ? 大丈夫?」
一狼が振り返る間もなく、影は背にぴたりと貼りついたまま動かない。
その顔は土で汚れ、髪は乱れ、瞳だけが静かにこちらを見ていた。
サーシャ――後にそう名乗る女性だったが、この時点で彼女は名乗る気などまったくなかった。
次の瞬間、森の奥から風を裂くような声が響く。
「小娘ぇぇぇっ! 吾輩の城に無遠慮に触れるとは、あれほど言ったであろうがッ!」
低くも響き渡るその怒号とともに、夜空から巨大な影が滑空した。
鋭い爪、強靭な羽ばたき、そして過剰な気品をまとった大鷲。
一狼が「あれって……吸血鬼?」と疑問を口にする暇もなく、影は彼の目の前で地面へ降り立ち、黒い霧の中で人型へと変わった。
長身、蒼白の肌、金の瞳。どこか古びた服を纏いながらも妙に堂々としている男。
「そこの庶民よ、吾輩の獲物を知らぬ顔でかばうとは、なかなか大胆ではないか」
「いや、かばってるわけじゃ……あの、ちょっと落ち着こう?」
一狼が両手をかざし、穏やかに宥めようとした、そのとき。
がぶっ。
「――っいたぁ!?」
「……あ、しまった」
「吾輩はしまっておらん! 貴様が動くからだ!」
吸血鬼ナルシスの歯は、見事に一狼の肩へ突き刺さっていた。
こうして、
“狼男でありながら吸血鬼にもなってしまった男”
“森の城に一人で暮らす自信過剰の純血吸血鬼”
“墓から這い出てきた謎の女性”
三人の奇妙で賑やかな、しかしどこかドラマチックな日々が始まりを告げたのだった。
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